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東京地方裁判所 平成8年(ワ)7647号 判決 1997年6月05日

原告(反訴被告)

飯田喜美恵

右訴訟代理人弁護士

松田英一郎

隈元慶幸

谷原誠

被告(反訴原告)

増子邦枝

右訴訟代理人弁護士

堀敏明

主文

一  原告が被告に賃貸している別紙物件目録記載の建物の賃料は、平成七年一月一日から平成八年五月末日までは月額二二万三〇〇〇円であり、平成八年六月一日以降は月額二三万一〇〇〇円であることを確認する。

二  被告は、原告に対し、金九一万八七六〇円を支払え。

三  原告のその余の本訴請求及び被告のその余の反訴請求をいずれも棄却する。

四  訴訟費用は、本訴反訴を通じてこれを二分し、その一を原告の負担とし、その一を被告の負担とする。

五  この判決は、第二項に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一  請求

一  本訴請求

1  原告(反訴被告。以下、単に「原告」という。)が被告(反訴原告。以下単に「被告」という。)に賃貸している別紙物件目録記載の建物(以下「本件建物」という。)の賃料は、平成八年六月一日以降月額三〇万円であることを確認する。

2  被告は、原告に対し、一〇一万一四六〇円を支払え。

二  反訴請求

本件建物の賃料は、平成七年一月一日以降月額二〇万四〇〇〇円であることを確認する。

第二  事案の概要

本件は、賃貸人である原告が賃料増額請求による増額賃料の確認を求めると共に、更新料支払合意に基づき新賃料四か月分の更新料の支払及び適正賃料と実際支払賃料との差額の支払を求めたところ、賃借人である被告が賃料減額請求による減額賃料の確認を求めて反訴を提起したという事案であり、中心的争点は、(一)借地借家法三二条の適正な賃料額、(二)法定更新の場合にも更新料支払合意に従って更新料を支払う義務があるか、という点である。

一  (前提となる事実)

以下の事実は、証拠を弧書きで摘示した部分を除いて、当事者間に争いがない。

1  原被告間の本件賃貸借契約

原告は、被告に対し、昭和二二年ころから、本件建物を賃貸している(以下「本件賃貸借」という)。

2  本件更新料支払合意

本件賃貸借は、何度も更新を繰り返し、平成四年五月二七日に、次のとおり、最後の合意更新がなされた。

(一) 期間 平成四年六月二七日から平成七年六月二六日まで

(二) 賃料 月額二〇万八〇〇〇円(消費税別)

(三) 敷金 一〇万円

(四) 増改築の禁止 賃借人は、賃貸人の承諾を得ないで賃借物の造作、模様替え及び建増し等現状を変更しない。

(五) 更新料 本契約更新の際、賃借人は賃貸人に対し、更新料として新賃料の四か月分相当額を支払うものとし、賃料については当事者協議のうえ決定するものとする(以下「本件更新料支払合意」という。甲一・建物賃貸借公正証書の第二一条)。

3  右賃貸借期間中の平成五年三月ころ、被告は、原告の申し入れにより、平成五年四月分から賃料を月額二二万三〇〇〇円に増額することを承諾した。

4  原告による賃料増額請求

原告は、平成六年三月二四日、月額賃料を平成六年四月から三〇〇〇円増額させて二二万六〇〇〇円にする旨賃料増額請求をした。

5  被告による賃料減額(請求)の調停申立て

被告は、原告に対し、平成六年一二月二日に、被告を申立人、原告を相手方として、東京簡易裁判所に賃料減額の調停を申し立て(東京簡易裁判所平成六年(ユ)第八五六号)、右申立書において、本件建物の賃料を平成七年一月一日から月額二〇万四〇〇〇円に減額する旨賃料減額請求を行い、右意思表示はそのころ原告に到達した。

6  調停の不調

右調停は、平成八年三月八日、不調で終了した。

7  原告は、被告に対し、本件訴状(平成八年五月九日送達)をもって、本件建物の賃料を平成八年六月一日から月額三〇万円に増額する旨の意思表示をした。

二  (原告の主張)

1  賃料を増額すべき事情

原告が近隣において賃貸している建物の賃料は、別紙「近隣賃貸物件地図」記載のとおり一平方メートル当たり九八八九円ないし一万五三五五円である(甲三ないし六)。したがって、一平方メートル当たり四〇八六円である本件建物の賃料が低額であるのは明らかであり、本件建物の賃料を平成八年六月一日から月額三〇万円(一平方メートル当たり五四九七円)とするのが相当である。

2  適正賃料との差額支払請求権

平成六年四月分から平成八年五月分までの適正賃料二二万六〇〇〇円と被告の実際支払賃料二二万三〇〇〇円との差額は、八万〇三四〇円である。3000円×1.03×26か月=8万0340円

3  更新料支払請求権

本件更新料支払合意に基づき、原告は、被告に対し、適正な新賃料22万6000円×1.03×4か月分=93万1120円の更新料支払請求権を有する。

よって、原告は、本件建物の月額賃料が平成八年六月一日から月額三〇万円であることの確認を求めると共に、適正賃料との差額八万〇三四〇円及び更新料九三万一一二〇円の合計額一〇一万一四六〇円の支払を求める。

三  (被告の主張)

1  賃料を減額すべき事情

(一) 被告は、現在、本件建物の賃料として月額金二二万三〇〇〇円(消費税を含めると二二万九六九〇円)を支払っているが、本件建物の賃借面積は54.57平方メートル(約16.54坪)であり、その坪単価は月額一万三四八二円(消費税別)にのぼっている。

(二) 原告は、三年毎に更新料として新賃料の四か月分を請求しており、平成四年の更新までは被告がこれを支払っていた。平成七年の更新に際しては未だ更新料を支払っていないが、本訴においてこの支払義務が認められた場合には、実質賃料はさらに増大することになる。

(三) 本件建物は、昭和二〇年代に建てられた古い木造家屋である。このような本件建物において坪一万三四八二円の家賃は、近隣の賃料相場に比較して余りにも高額であり、都心の新築ビルの家賃に相当するものである。

(四) 加えて、原告は、平成四年六月の更新に際して、本件建物の家賃を月額二一万八〇〇〇円に増額したが、その後も毎年賃料の増額を行い、平成五年四月からは月額二二万三〇〇〇円となり、平成六年四月には月額二二万六〇〇〇円の増額請求をしたが、被告がこれに応じなかったため、現在被告が支払っている賃料は前記のとおり月額二二万三〇〇〇円である。二年ないし三年という短期の賃借期間を定めた場合、その期間は賃料据置期間と考えられ、その間は賃料増額請求をしないのが常識である。しかるに原告は毎年のように増額をし、その結果、現行家賃は極めて高額となっている。

(五) 他方、前記のとおり、本件建物は古い木造家屋であるため、修繕をすべき箇所が存してもおかしくない状況にある。被告は、本件建物一階店舗において理髪店を営業しているが、昨年、同店舗の水道が破損し、漏水等が起きたため、被告は原告に対して再三に渡ってその修理を求めたが、原告はこれに一切応じず、被告は、右修理が行われなければ営業にも支障をきたし、また水道料金も漏水で高額になるため、やむなく八万〇五一六円を支出してその修理を行った。右修理代金については未だに原告は支払っていない。さらに、本件建物の物干場(原告によるビル建築工事の都合で半分に削られ、その補修が不完全だったため崩れ落ちている。)、物干場への出入口ドア、窓、壁紙、店舗シャッター、店舗トイレのドア、クーラー等について修繕が必要な状況にあり、被告は原告に対して、これらについても再三にわたって修繕を求めているが、原告は一切これに応じようとしない。原告は、右のとおり高額な家賃を徴収しているにもかかわらず、家主として当然の義務である修繕義務すら果たそうとしないのである。このような義務違反が適正賃料の算定にあたって考慮されるべきは当然である。

よって、被告は、譲歩をしたうえで、前記反訴請求のとおり、平成七年一月一日以降本件建物の賃料が二〇万四〇〇〇円であることの確認を認める。

2  更新料支払義務の不存在

(一) 原告主張の更新料支払特約によれば、更新料は「新賃料」の四か月分とされているが、法定更新の場合は、右の「新賃料」が定められることがなく、実際にも平成四年の更新時点で原被告間で新賃料の合意がなされた事実はないから、右特約の文言に照らしても、「新賃料」の四か月分の更新料支払請求権は、発生せず、右特約は法定更新の場合には適用されないというべきである。

(二) ところで、更新料の法的性格や更新料支払の根拠については、①賃料の補充、②賃貸借契約の円満な継続(訴訟も提起されず、合意された期間は明渡を求められないなど)のための対価、③貸主が更新拒絶権を留保ないし放棄して更新を承諾する対価、④契約更新の手数料など様々な説明がなされている。このことは、そもそも更新料が法的に極めて曖昧なものであることを示している。しかも、これらの説明に合理性は全くない。①について言えば、適正賃料の算定にあたって更新料支払の有無は必ずしも考慮されていないし、不動産鑑定評価基準においても、支払われた更新料の全額を賃料として算定するとはされていない。実質的にみても、賃貸借の期間中も賃料の増減請求はできるのであるから、更新料により賃料を補充する必要性はない。②及び③については、賃借人は更新料を支払わず法定更新を選択することによって、更新料支払による利益を放棄することを宣言して、貸主の更新拒絶権を容認し、貸主による明渡請求、訴訟の提起を甘受しようというのであるから、貸主としては、更新料の支払をしない賃借人に対して、更新拒絶権を行使して期間の定めのない契約に移行させ、正当事由を具備して明渡を求めればいいだけのことである。法定更新を賃借人が選択した以上、②及び③の理由による更新料支払義務が賃借人に発生する余地はない。④について言えば、法定更新によってなんらの対価もなく自動的に契約は更新されるのであるから、法定更新の場合には契約更新の手数料など不要であり、かかる支払義務が生ずる余地はない。

以上のとおりであるから、本件更新料支払特約は、法定更新を含まないことは明らかであり、原告の更新料請求は失当である。

(三) そもそも、借地借家法あるいは旧借家法の規定によって、更新料支払特約は、法定更新の場合については無効である。借地借家法あるいは旧借家法は、借家契約の期間が満了しても原則として同契約が自動的に更新(法定更新)する旨定めている(借地借家法二六条・二八条、旧借家法一条の二・二条)。すなわち、借家人は更新料を支払わなくとも自動的に更新され、当該借家の使用を継続できるのである。そして、借地借家法あるいは旧借家法は、法定更新等の定めは強行規定であり、これに反する特約で借家人に不利なものは無効としている(借地借家法三〇条、旧借家法六条)。したがって、本来なんの経済的負担を要することなく自動的に契約が更新する法定更新の場合に、借家人に更新料支払という経済的な負担を強制する更新料支払特約は、法定更新の規定に反する特約であり、かつ借家人に不利なものであるから、右借地借家法三〇条、旧借家法六条により無効である。右の理由により、法定更新における本件更新料支払特約は無効であり、原告の請求は失当である。

第三  争点に対する判断

一  適正賃料について

(一)  鑑定の結果によれば、本件建物の適正賃料は、平成七年一月一日から平成八年五月末日までは月額二二万三〇〇〇円であり、平成八年六月一日以降は月額二三万一〇〇〇円であると認めるのが相当である。

(二)  右鑑定結果に対し、原告は、別紙「近隣賃貸物件地図」記載の原告による他物件の賃貸事例が考慮されていないのは不当である旨主張するが、係争当事者の一方の他の賃貸事例を考慮するのは相当でなく、原告の右主張は理由がない。

(三)  他方、被告は、鑑定結果に対し、「①差額配分法の適用において土地の建付減価率を一%としたのは、余りにも低率である。②差額配分法の基礎価格を更地価格ではなく借地権価格とすべきである。③必要経費となる地代を実際の支払額ではなく、地主の請求額としたのは不当である。④修繕費は再調達原価ではなく現在の建物価格(鑑定書では再調達原価の一〇%と認定)を基準にその一%を計上すべきである。⑤原告が損害保険料を実際に支払っているか疑問であり、鑑定書が認めている必要経費は高額にすぎる。⑥スライド法の適用にあたり、変動率の指標として、市街地価格指数(マイナス傾向)を全く無視したうえ、「消費者物価指数(+0.8%)を下回る変動率を採用した場合には、賃貸人の手取額に実質的な目減りが生ずること等も勘案して、本件変動率を+一%と判定した。」としているが、そのような鑑定書の考え方では、継続家賃の減額など認められようはずがなく、不当である。⑦比準賃料の算定の際、著しく老朽化している本件建物の個別的な減価要因を適切に評価していない。⑧一般に平成七年一月一日時点と平成八年六月一日時点とでは賃料額が下落傾向にあるにもかかわらず、鑑定結果では逆に上昇しており、不当な鑑定であることを物語っている。」旨主張するが、原告と被告が三年間の賃貸借期間満了よりも約一年二か月前の平成五年四月に月額賃料を二二万三〇〇〇円に増額する旨の合意をしていることをも併せ考えると、被告主張の諸点は、裁判所が依頼した鑑定人による鑑定書の結論部分の信用性及び合理性を否定するには足りない。

二  適正賃料と実際支払賃料の差額支払義務

原告が請求している平成六年四月一日から平成七年五月末日までの適正賃料の額は、前記のとおり、実際支払賃料額と同一の月額二二万三〇〇〇円であるから、原告主張の差額は発生せず、原告の請求は、理由がない。

三  更新料支払義務について

原告と被告は、平成四年の契約更新時に、「本契約更新の際、賃借人は賃貸人に対し、更新料として新賃料の四か月分相当額を支払うものとし、賃料については当事者協議のうえ決定するものとする。」とする本件更新料支払合意をしたことが認められ、これが合意更新のみならず、法定更新の場合にも適用されるかどうか争われているところ、①賃貸借が期間満了後も継続されるという点では、法定更新も合意更新も異なるところはなく、右文言上も、更新の事由を合意の場合のみに限定しているとまでは解されないこと、②本件賃貸借が期間を三年と定め、三年ごとの更新を予定して、新賃料を基準とする更新料の支払を定めていることなどからすると、右更新料は、実質的には更新後の三年間の賃料の一部の前払としての性質を有するものと推定され、本件鑑定の結果もそのような理解のもとで前記適正賃料額を算出したものと窺われること、③本件のように、当事者双方とも契約の更新を前提としながら、更新後の新賃料等の協議が調わないうちに法定更新された場合には、賃借人が更新料の支払義務を免れるとすると、賃貸人との公平を害するおそれがあることなどを総合考慮すると、本件賃貸借においては、法定更新の場合にも、本件更新料支払合意に基づいて更新料支払義務があるものと解するのが相当であり(東京地方裁判所平成五年八月二五日判決・判例時報一五〇二号一二六頁参照)、法定更新の場合に本件更新料支払合意の効力が及ばない旨の被告の主張は、採用することができない。

また、被告は、本件更新料支払合意が借地借家法又は旧借家法の強行規定に反して無効であると主張するが、新賃料の四か月分程度の更新料であることに照らし、右主張は採用することができない。

したがって、被告は、原告に対し、本件更新料支払合意に基づき、法定更新時期である平成七年六月二七日当時の適正賃料額22万3000円×1.03(消費税)×4か月=91万8760円の更新料支払義務がある。

四  結論

以上によれば、原告の本訴請求は、更新料九一万八七六〇円の支払を求める限度で理由があり、被告の反訴請求は、本件建物の月額賃料が平成七年一月一日から平成八年五月末日まで二二万三〇〇〇円であり、平成八年六月一日以降二三万一〇〇〇円であることを確認する限度で理由があり、その余の原告の本訴請求およびその余の被告の反訴請求は、いずれも理由がない。

よって主文のとおり、判決する。

(裁判官齊木教朗)

別紙物件目録<省略>

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